【観光】観光サービスの高度化に異業種の協力は必至

青森の小さな村の大きな挑戦 日本有数の観光コンテンツ誕生秘話

田舎館村役場
田舎館村役場

弘前市の隣にある田舎館村は津軽平野にあり、田畑が広がる文字通り「田舎」の村である。水田をキャンバスに見立てた「田んぼアート」を、わずか20数年で県内のみならず全国にその名前を発信させる観光コンテンツへと成長させた。古くから伝わる米づくりを「食べられる芸術」としてアートに進化させたアイデアは、さまざまな改良を重ね、「スター・ウォーズ」や「シン・ゴジラ」といった大ヒット映画とコラボするなど、毎年メディアを騒がせるようになった。かつては観光資源がなく人を呼び込むことすらできなかった人口わずか約8千人の小さな村が、毎年30万人以上の観光客をどのようにして集めるようになったのか。

通いなれたいつもの通勤路がヒントに

田舎館村役場

田舎館村は1980年代後半より村の活性化を図ろうと、頭を悩ませていた。1987年に「田舎館村むらおこし推進協議会」を設立し、地元産業の活性化や観光客の増加を模索。当時の村長から「今の企画を全て廃止して、人が集まる企画を考えよう」との指示を受け、役場職員は毎日知恵を絞っていたという。

花田耕一さん(当時産業課職員)も その一人。ある日、通勤路の水田に紫、黄、緑色のストライプに植えられた稲穂をふと目にし、稲で絵と文字を描く企画を思いついた。そして、約1年という短い期間で1993年にシンプルな岩木山と「稲文化のむらいなかだて」の文字を組み合わせた「稲文字」が完成。田んぼアートの歴史が幕を開けた。

当時を知る企画観光課の浅利高年さんは「規模はまだ小さく、認知も低かったため、田んぼアート目当てに来る観光客は少なかった」と振り返る。転機は10年目の2002年、村民千人で巨大な田んぼアートを作るテレビのチャレンジ企画が反響を呼び、その後大きく知名度を上げた。

測量や美術も村民が協力

田舎館村役場

全国的な注目の背景には、村民たちの協力があった。翌年には、世界の名画「モナ・リザ」に挑戦しようと田舎館出身の美術教諭・山本篤さんの手によって表現の幅が広がった。展望台から見える角度では下太りしているように見えてしまうため、遠近法を取り入れたデザインを採用し、次年度以降の完成度が大きく向上。設計図も従来のやり方では膨大な時間がかかっていたが、測量会社に勤めていたトマト農家の工藤浩司さんがCADを使い設計図を制作することで正確さの向上と時間の大幅な節約に成功した。すべて村民による作業によるもの。毎年難易度の高いテーマに挑戦しながらも、観光客を驚かせるクオリティに仕上げている。 「喜んでもらいたい、感動してほしいという気持ちでやっているだけ」と浅利さん。ひとりの役場職員の発想から始まった企画は、村民たちの技術を生かしたバトンタッチが、今では日本有数の観光コンテンツへと成長させた。

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